悔しさをどう言葉にするか
〜運動会の一言から考えた、言葉と競争と、気づきの話〜
どうも、ライフスキル・ナビゲーターの新井幸平です。
公務員をしたり、育児をしたり、失敗と学びを繰り返したりしています。
今日は、つい最近参加した運動会の出来事から、「悔しさの伝え方」や「競争の見え方」について考えてみたいと思います。
うちの子の学校の運動会で、最後に学年別の大縄跳びがありました。
5分間でどのクラスが一番多く飛べるかを競う、シンプルだけど熱くなる競技です。
終わったあと、ある男の子が感情を爆発させて、ちょっと強い言葉をクラスメイトにぶつけていました。
これを見たときにまず思ったのは、
「これは大人がちゃんと関わるべき場面だな」ということ。
でもね、大事なのは「その子の人格を否定する」んじゃなくて、
「その言葉の出し方」に向き合うことだと思ったんです。
たとえば僕なら、まずはこう伝えます。
「悔しかったんだよね。
頑張ってたし、勝ちたかったもんね。
その気持ちは、すごく大事だよ。」
最初に気持ちを受け止めること。これが、子どもとの対話のスタートだと思っています。
でもそのうえで、こう続けます。
「悔しい気持ちを、そのまま言葉にしてぶつけちゃうと、
その言葉が、相手の心に“ずっと残ってしまう”ことがある。
“自分のせいで…”って思ってしまう子もいるかもしれない。」
そして、彼の中にある力にも目を向けてあげる。
「君が感情を出したってことは、それだけ熱量を持ってたってことだよね。
君には“人を引っ張る力”がある。
だからこそ、言葉の選び方がすごく大事になってくる。」
でね、こう問いかけます。
「もし、もう一回言い直せるとしたら、
あのとき、どんなふうに伝えたらよかったと思う?」
こうやって考える機会をあげることが、成長につながると思うんです。
で、もう一つ。今回のことで僕自身が考えたのが、
「どうして運動会だと感情が出やすいんだろう?」ということ。
たとえば、学校のテストも競争の一つですよね。
平均点でクラス同士が勝った負けたってあるかもしれない。
でも、テストのあとに「お前らのせいで…!」なんて叫ぶ子は、そういない。
その理由は、**“習慣化されてるから”**だと思うんです。
テストは日常的なものになっていて、“競ってる”という意識が薄くなってる。
でも運動会って、年に一度の“非日常”。
しかも、目の前で勝敗が決まるから、感情がむき出しになりやすい。
さらに言えば、運動会って、運動が得意な子にとっては「勝てるチャンス」でもある。
だから、より強く“勝ちたい”って気持ちが出るんですよね。
でも忘れてはいけないのが、運動が苦手な子も、その場にいたってこと。
その子たちは、苦手でも、ゴールが決まってるから頑張ってた。
嫌でも、みんなと協力して、なんとかやりきろうとしてた。
そう考えると、「悔しさをどう言葉にするか」っていうのは、
自分の感情だけじゃなく、相手の背景まで思いやることなんだと思うんです。
悔しさは大事。
でもそれを“どんな言葉で伝えるか”で、
周りとの関係も、自分自身のリーダー性も、変わってくる。
僕は今回の出来事を通して、
「言葉のライフスキル」が、やっぱり大事だなと改めて感じました。
このブログでは、暮らしや働き方に役立つ生きる力、ライフ・スキルを届けています。
なにか参考になれば嬉しいです。
(文:ライフスキル・ナビゲーター 新井幸平)
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