安心は「誰かがくれるもの」じゃなくて、「自分たちでつくるもの」だった
〜小6の自由箱が教えてくれたこと〜
こんにちは。
ライフスキル・ナビゲーターの新井幸平です。
今日は、「安心ってどうやって生まれるんだろう?」というテーマで、少しお話したいと思います。
きっかけは、つい先日参加した小学校の同窓会でした。
久しぶりに顔を合わせた同級生たちとの会話の中で、ある授業のことが話題にあがったんです。
それは、小学6年生のとき。
僕たちのクラスでは、教室に「自由箱」という箱が置かれていて、生徒が自由に書いた“テーマ”や“疑問”がその中に入っていました。
担任の先生は、その中から一つを取り上げて、道徳やゆとりの時間にみんなで話し合う、という授業をしてくれていたんです。
ある日、箱の中から出てきたテーマがこちらでした。
「この教室は安心できますか?」
今思えば、とても深い問いですよね。
でも当時の僕たちにとってはちょっと難しくて、なんだかピンとこなかった。
“安心”って言葉の意味はわかっても、それを「教室」という場所に重ねて考えるのは初めてのこと。
多くの子が、言葉に詰まってしまっていました。
そこで先生が、こんな“問い直し”をしてくれたんです。
「じゃあ、“安心できる場所”って、どこだと思う?」
その問いには、ほとんどの子が「家」と答えました。
理由は、「親がいるから」「慣れているから」「落ち着くから」など。
続いて先生は、さらに深く問いかけました。
「じゃあ、“安心できない”ときって、どんなとき?」
すると、子どもたちから出てきたのはこんな答えでした。
-
あいさつをしたのに、返ってこなかったとき
-
話しかけた相手に無視されたとき
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授業で発言して間違えたら、笑われたとき
今になって思うと、それらはすべて“人との関わり”の中で生まれる不安だったんです。
そして先生は、こう言いました。
「それをなくしていけたら、この教室だって“安心できる場所”になるんじゃない?」
たとえば、誰かが間違えても
「その意見いいね」と受け止めたり、
「いろんな考え方があるよね」と肯定してあげる。
あいさつをきちんと返す、
誰かを仲間外れにしない、
そうした行動の積み重ねで、“安心”はつくられていくんだよ──と。
その言葉を、今回の同窓会で久しぶりに思い出しながら、
僕はふと、今の自分に問いかけてみたんです。
「自分は今、家庭や職場で、“安心をつくる側”になれているだろうか?」
僕は、45歳。公務員として21年、父親としても15年になります。
でも気づかないうちに──
正しさばかりを優先して、
相手が話しやすい空気を壊していたり、
「受け止める」よりも「評価する」ことが多くなっていたり、
そんな場面もあったかもしれないな…と反省しました。
同窓会で出てきたこの一枚の“問い”は、
単なる懐かしい思い出ではなく、
今の自分の背筋を伸ばしてくれる、大切な気づきとなりました。
安心って、「どこかにあるもの」じゃない。
誰かが「くれるもの」でもない。
それは、自分の言葉や態度、行動の積み重ねで、
つくっていくものなんだということ。
自由箱に入っていた、たった一行の問い。
あの頃の僕たちには難しかったけど、
今の僕には、とてもまっすぐに届きました。
もしこの話が、あなた自身の「安心のつくり方」を考えるきっかけになったなら、嬉しいです。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
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