“ありがとう”は、見えない誰かへの手紙かもしれない
どうも、ライフスキル・ナビゲーターの新井幸平です。
今日は「ありがとう」って、
実は社会にとってすごく大事な役割を持ってるんだよ、という話をしたいと思います。
朝ね、ゴミ出しに行ったんですよ。
集合住宅のゴミ集積所って、たまに散らかってたりするんだけど、
その日はピカピカに整ってて。
誰がやったのかはわからない。
けど間違いなく「誰か」が掃除してくれた。
その瞬間、なんとなく心の中で
「ありがとう」って思ったんです。
でもね、ふと思った。
これ、家族にはちゃんと「ありがとう」って言ってるのに、
外ではどうだろう?って。
コンビニの店員さん、
トイレを掃除してくれている人、
バスの運転手さん──
自分の困りごとを、当たり前のように解決してくれてる人たちに、
ちゃんと「ありがとう」って言えてるかな?って。
最近、社会全体として「ありがとう」が減ってる気がするんです。
その原因はいくつかあって・・
- 「お客様意識」の強さからくる、サービス=当然。消費者優位の常識化
お金を払っているからあたりまえ。 - テクノロジーによる無人化
人に変わって機械が働き出し、人と人とのコミュニケーション機会が薄れている。 - やってくれて当たり前の状態化
駅や公園のトイレは綺麗であたりまえ。コンビニの棚にはいつも商品が並んでいる。 - ありがとうを言うどころか、少しでも不満があればすぐクレーム。
ありがとうは頭を下げる側だと思っている。感謝は『弱さ』と勘違い。 - 親や大人がありがとうを実践していない。
お手本がいない。
そんな空気が当たり前になってしまうと──
実は、失っていくものがあるんです。
「役割」と「つながり」
ありがとうがない仕事って、誰の役にも立ってるのか分からなくなる。
すると、働いてる人のやる気がどんどん下がっていく。
仕事の質も下がるし、やがては離職に繋がる。
そしてその「役割」が失われると、
もうひとつ、「つながり」も失われていく。
仕事って、人と人との間にあるもので、
そこには感謝があって、信頼があって、つながりがある。
でも「ありがとう」がなければ、
自分がこの場所に必要とされている実感が持てない。
誰かの役に立っている実感が持てない。
そうやって、社会から静かに切り離されていく──
そんな現実を、僕たちはどこかで見過ごしてきたのかもしれない。
だからこそ、
「ありがとう」は、ただのあいさつじゃなくて、
人をつなぎ直す“力”なんだと思うんです。
今日、ひとつでいいから、
見えない誰かに向けて「ありがとう」を届けてみてください。
そのひと声が、きっとどこかで
「役割」と「つながり」を守ってるはずです。
このブログでは、暮らしや働き方に役立つ生きる力、ライフ・スキルを届けています。
なにか参考になれば嬉しいです。
(文:ライフスキル・ナビゲーター 新井幸平)
コメント